Mission1 beginning of all


 あたし、蒼井凜には両親がいない。

 それは五年前の事。今でも鮮明に思い出せる。


 それまでは両親と妹と従姉妹の海の五人暮らしだった。
 両親はちょっと変わっていて、あたし達に武器の訓練をさせていた。あたしは銃。海はレイピア。そして妹のゆかりは薙刀。
 的の真ん中に弾が当たるのが嬉しくて、そっと手を添えて教えてくれるお父さんの温もりが心地よくて、「頑張ったね」と言ってくれるお母さんの笑顔をもっと見たくて、いっつも練習してたっけ。

 でも幸せな日々は突然崩れ去る。

 その日は雨が降っていた。
 両親はここ二・三日、仕事で家を空けていた。家に来るのは、二人がいない時に家事や食事の支度をしてくれるハウスキーパーさんくらい。なんでも仕事先の方で雇ってくれてるとか言ってた気がするけど、よく覚えていない。でもこの日は土曜日でハウスキーパーさんも休みだったので、あたしと海とゆかりの三人での留守番をしていた。

「遅いねー、お父さんとお母さん……」
 お絵描きをしていたゆかりがポツリと呟く。
 時計を見ると既に六時。いくらなんでも遅いし、電話の一つもない。確か今日のおやつの時間には戻ってこれる、と仕事に出かける前に言っていたはずだから、もう三時間も過ぎていることになる。いつも帰るよ、と示した時間帯には帰ってきていたし、もし仮にその時刻に帰宅できなかったとしても両親は必ず連絡を入れるはずだ。普段ありえないこの事態に私は不安になる。

 ドアホンが鳴ったのはそんな時だった。

「……? 誰だろ?」
 海が宿題から顔を上げて首を傾げる。二人は鍵を持っているから、わざわざ鳴らす事はない。
「あたし見てくるよ」
 そう言ってあたしは玄関に向かうために立ち上がった。
 少し小走りで廊下を進み、鍵を開けてドアを開くと、外の冷たい空気が足元をかすめる。
 ドアの向こうに立っていたのは知らない人。多分男の人だと思う。十一月半ば、真っ黒なスーツを着たその人は夜の闇に消えて、目を凝らしても闇との境目は溶けてしまって分からない。
「あのー……?」
 男の人が何も言わないのであたしはどうしたらいいのか分からず、戸惑いながら声をかけた。

「蒼井奏多さんと蒼井詩穂さんが亡くなられました」
 ようやく口を開いたその人が言った言葉の意味を、あたしはすぐに理解できなかった。
 お父さんとお母さんが死んだ?
「……どういう事ですか」
 心配でついて来ていたのだろう。後ろから海の声が聞こえた。
「そのままの意味です。あなた方の両親は亡くなられました」
 黒いスーツの人物は表情一つ変えずにそう言った。
「うそ! お母さんとお父さんは強いもん!! 死なないもん!!!!」
 ゆかりの悲痛な叫び声も聞こえる。
 あたしは振り返る事も、男を問いただす事もできなかった。震える手で、胸のあたりをぎゅっと握りしめる。
 海が一歩前に出て、
「嘘……ですよね?」
 と問いかけると、男の人は黙って首を振り、身を翻して夜の闇に消えていった。


 両親が死んだ。事実かどうかすら分からないその言葉に、あたしは酷く混乱していた。
 なぜ? どこで? どうして?
 何も知らない。どうしたらいいか分からない。

 分からないなりに出した答えは、自分の心を保つためのもの。

 "お母さんとお父さんは生きている"

 そう思わないと、不安と恐怖に押し潰されそうだから。わざわざ話したわけではないけど、海とゆかりも、同じように考えただろうと思う。
 この日からあたし達はほとんど両親の話をしなくなった。



 それから月日は流れ、九歳だったあたしは十四歳、中学三年生になった。
 身寄りのなかったあたし達は、預金癖のなかった両親の少ないお金で、細々と生活していた。
 起きて食べて寝る以外にしている事は、学校に行く事、宿題、そして幼少より続けてきた訓練だけ。特別な事など何もない毎日。あれからも二人の消息を聞くことはなく、帰ってくる事もなかった。
 高校に進学する財政的余裕がないあたしと海は、中学を卒業したら本格的に二人を探すため、行動に出ようと決めていた。

 そんなある日の昼下がりだった。
 夏休みに入り、課題以外にやる事のないあたし達は、地下の練習場で日々訓練に明け暮れていた。
 的の前二十メートルの所で構える。まずは両手で構えるウィーバースタンスから。
 目を閉じて、空気の流れを読み取る。
 大きく息を吐く。──そして。
 引き金を連続で弾いて、一気に全ての弾を放った。
 近付いて的を見る。全て当たっているのを確認し、ひとまず安心した。
 撃った弾を回収する。訓練で使うのはエアガンだ。本当はリコイルショックの反動がちゃんとある実弾でやりたいのだが、弾の入手が難しいし、そもそも購入する値段が恐ろしい。結局、愛銃は箪笥タンスのお守りになってしまっている。海もゆかりも、同じような感じだ。
 十回ほどウィーバースタンスで撃つと、今度は片手のポイントショルダーで、左右交互に十回ずつ。それからツーハンドだ。

 五回ほど左のポイントショルダーで撃ち、弾を拾っていると、不意に玄関のチャイムが鳴る音がした。
「「「──……?」」」
 手を止めて、三人で顔を見合わせる。あの日以来、来客を知らせるこの音を聴いていないし、人を家に上げた事だってない。

 おそるおそる玄関に向かう。そっと戸を開くと、ほわほわとした少し長めの髪をちょこんとしばった男の人が立っていた。
 彼はにっこり笑って、スッと一礼した。
「お久しぶりです。暁学園の瀬川ツキと申します」
 …………? お久しぶり? どこかで会ったことがあるのだろうか。不思議に思ってツキと名乗った人物を見つめてみるが、さっぱり記憶にない。
 それでも思い出そうと頭の中をひっくり返すが、モヤモヤとした霧に覆われたようで全然分からない。「お久しぶり」と言うのだから、小さい頃にあった事があるのだろうか。
「……とりあえず、お入り下さい」
 あたしはそう言って、五年来の客人を家に上げた。


「どうぞ」
 海が緑茶を、私がお茶受けを彼の前に差し出す。
「ありがとうございます。えっと……こちらが蒼井凜さん、こちらが青嶋海さん、こちらが蒼井ゆかりさんでよろしいですか?」
 ツキさんはあたし、海、ゆかりを順に見て名前を確認する。
「そうですけど……。あの、それでご用件というのは……?」
 あたしが単刀直入に言うと、ツキさんはやや躊躇ってから思ってもいなかった一言を口にした。

「あなた方三人を暁学園へ勧誘しにきました」
 暁学園……? そんな学校の名前、聞いた事がない。
「……と、いいますと?」
 海が続きを促す。
「──世界が二つあるのは皆さんご存知ですか?」
 今度はなんの脈絡もない切り出しである。
「ええっと……お伽話じゃなく?」
 ゆかりが戸惑いつつ、不思議そうに首を傾げる。
「ええ。世界は二つあって、今ここにある世界が太陽の海ソレイユ・メール、もう一つの世界が月の森リュンヌ・フォレ、そして狭間の空間が大地の橋テール・ポンと呼ばれているのもご存知ですね?」
 なぜかその事を知っている前提の物言いが少し引っかかるが、あのお伽話に出てきた世界の名と一致している。
「……確かあたし達の住んでいる世界が科学が発達したところ、もう一つの世界が魔法の発達したところ、両世界を塞いでいる大地の扉テール・ユイがあるところ、でしたよね?」
 懐かしい記憶を思い出しながらそう問い返すあたしに、
「むかしむかし、世界はふたつありました……で始まるやつですよね」 と海。
 お父さんとお母さんから何度も聞いたその話はあくまでお伽話だと思っていたし、海もゆかりもそうだろう。
「そう、その話。もう少し詳しく説明すると、この二つの世界は裏の世界と表の世界……オセロの石の白い面と黒い面のように表裏一体になっているんです。で、繋がっていてはまずいその二つの世界の緩衝材としての役割を担っている大地の橋テール・ポンにあるのが──」
「暁学園、ですか」
 海が尋ねると、彼は首肯した。
「そこで奏多さんと詩穂さんも働いていました」
「「「──!!」」」
 突拍子もない話と衝撃の事実にあたしは頭が混乱して言葉も出ない。皆して目を見開いて、互いの顔を見合わせる。
「あの、お父さんとお母さんは──?」
 やっとの思いで紡いだ台詞に、彼は首を横に振った。
「二人ともある仕事へ行ったまま、戻ってきていません」
 その言葉に落胆する。
 でも。もしさっきの一言に偽りがないとするならば。

「……学園に入学すれば、両親の安否もわかる可能性がある、って事ですよね?」
「あなた方に、その覚悟があれば」
 ツキさんは真剣な面持ちで一句ずつ言葉を告げた。
 覚悟。あたし達に突きつけられるかもしれない現実。……でもここでジッとしている訳にはいかない。この状態のまま暮らしていても、いつか両親の貯金はなくなるし、どうにもならなくなる時が必ず来る。これは誰かが与えてくれたチャンスだ。掴み取るならそう、今しかない。
 あたしは二人と目配せをして宣言した。
「入ります。その学園」


「──はい。確かに」
 必要書類のサインと記入漏れの確認をすると、ツキさんはそそくさと立ち上がった。
「制服等は後日郵送されるので。ではまた、始業式にお会いしましょう」
 他にも何かあるのかと思っていたけれど、彼は案外あっさりと蒼井家を去っていった。


「……夢、じゃない……よね?」
 ツキさんが帰って行った方向を呆然と見つめながら、あたしは独りごちる。正直、まだ実感がない。
「夢、じゃない」
 海が言い切る。
「現実、だよ」
 ゆかりも涙目で私の頬をつねる。
「やっと……! やっと──!!」
 声にならない喜びを、三人で抱きしめ合って共有する。行方知れずだった両親の行方が、ようやく分かるかもしれない。二人を探す、と言ってもどうすればいいかわからなかった。でも道は示された。あたし達は何が何でもお父さんとお母さんを見つけて言うのだ。「おかえりなさい」と。



 それからの日々は本当に一瞬で、まるで風のように過ぎ去っていった。
 そして今日。待ちに待った入学式。
 この家とのお別れの日でもある。
 暁学園は一旦足を踏み入れたが最後、卒業するまで元の世界に戻ることは許されないらしい。
 承知の上で、あたし達は書類にサインした。
 荷物も既に向こうへ送ってある。
 あとはこの手紙の封を開けて、大地の橋テール・ポン、学園へ転移するのみ。
「お姉ちゃん、鍵、閉めたよ」
 ゆかりがリビングへ戻ってくる。
 三人共、真新しい制服に身を包んでいた。
 ジャケットの衿とスカートに個人カラーのライン、ネクタイ(中等部のゆかりはリボンタイ)も個人カラーが入っている。私は赤、海は青、ゆかりは緑だ。
 制服に各自好きな色を入れられるというのは中々斬新で、あたしは一目見てこの制服を気に入った。
「はい忘れ物」
 海が私とゆかりに武器を手渡す。ずっと箪笥のお守りになっていた愛銃。これからはどんな状況もこいつと切り抜けていく事になる。久しぶりに見た相棒は「待ちくたびれた」という風に、窓から差し込んでくる春の光を鈍く反射した。
 あたしは「ごめんね、これからよろしく」とひと撫でして、前を向いた。
「──じゃあ、行こうか」
 三人で頷きあって、慎重に封を開ける。
 強烈な光が便箋の中から溢れ出す。
 視界がホワイトアウトした。


 風が頬を撫でる。暖かい春の日差しを感じて、私は目を開いた。
 目の前に広がるのは元の世界とも、完全な異世界とも断言できない風景。
 ここが大地の橋テール・ポン、狭間の地──。
「また会えましたね。編入おめでとうございます」
 振り返ると、いつの間にかツキさんが立っていた。
「ありがとうございます」
 半ば様式美のようなやり取りを終えると、彼は急に真剣な表情になった。
「……本当に真実を追う覚悟がありますか?」
 既に確認してあったはずなのに念を押してくる彼を少し不思議に思いながら、あたし達は黙って頷く。
「ホームルーム後、生徒会室に来て下さい。お話があります」

 どこからかやってきた桜の花は、まるで全ての始まりを告げるかのようだった。




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