Ignaz
母親は娼婦だった。
ある男を愛しており、そいつとの子を身籠ったが、男はその事実を知った途端に手切れ金を渡して姿を消した。男は妻子持ちの貴族であり、女とは不倫だったらしい。
女は子供を身籠ったことで娼婦を辞めざるを得なくなり、信仰上の理由で堕胎もできなかったために仕方なく子を産み落とした。
生まれた我が子は不気味な白い髪と血赤の瞳をしていた。自分も父親である男も、ごく普通の茶の髪に緑の瞳をしているのにも関わらずだ。
女は死なない程度の最低限の世話しかしなかった。いっそのこと、見捨てられたのならまた違う結果になったのかもしれない。だが捨てたり、餓死させたりすれば、後々面倒なことになるのは目に見えていた。この国では庇護すべき幼子を虐げる者に容赦ない。
女は子が乳離れをするとほどなく娼婦に復帰した。学もなく、夜の世界しか知らない女は、元の生活に戻る以外の選択肢を持ち合わせていなかった。
しかし、周囲は「一度子を産んだ女は興味ない」とばかりに目をくれもしない。
逃げた愛おしいあの人。底をつきそうな手切れ金。そして上手くいかない仕事。これも全て不吉な容姿を持つコイツのせいに決まっている。女が狂って我が子に暴力を振るい始めるのは時間の問題だった。
物心ついた頃には女から叩かれ罵倒される日々。ろくに食事も与えられず、生きるためには盗みを働くしかなかった。
子は女のことが憎くて憎くて堪まらなかった。自分に向けられるのは白い髪と血赤の瞳を不気味がり蔑む視線。対して街を歩けば楽しそうに睦み合う母と子の姿。他人の家を覗けば、暖かい食事と微笑みあう家族。「どうして自分ばかりこんな仕打ちを受けなければならないのだろう?」女に対する恨みは年を追うごとに増していった。
ある時不思議な男が子の前に現れて言った。
「そんなに憎ければ殺してしまえばいい。君にはその才能がある」
男は子に魔法を教えた。教えるだけ教えて、男は宵闇の中へと消えてゆき、それきり消息はわからない。
けれどそんな男のことなど子にとってはどうでもいいことだった。
教えられた魔法で子は女を焼き殺した。見るも無残に、怨嗟を撒き散らしながら女は炭化していく。身体の内から燃え上がる女を見た子は、血赤の双眸に狂気を灯した。
それから子は次々と人を殺していった。まずは父親とその家族。自分を蔑んだ人々。幸せそうな家庭。全部、全部全部全部全部燃やし尽くしてやった。
「お花はいりませんか?」
外套を目深に被り、忌々しい髪と目を覆い隠す。花売り娘のフリをして家を訪ね、視界に入った人間全てを焼殺する少女がいると人々からは恐れられた。そのうち噂が巡り、家を訪ねても戸を開ける者はいなくなってしまったが、恐怖に怯える人々を見れば愉快な気分になって口端を歪める。
衛兵達は犯人を探し回ったが、なかなか見つけることができなかった。それもそのはず。少女と思い込んでいる花売り娘は少年なのだから。
しかしいつまでも逃げおおせる訳もなく、ついに子は捕まってしまった。今までに殺した人数は二十を超える。死刑となるのは確実だった。
薄暗くじめじめとした牢獄に、腕と足を鎖で繋がれ閉じ込められる。魔封じをされているらしく、魔法を使おうにも発動すらできなかった。
出てくる食事は一日に二度の乾ききった硬いパンと水。ベッドなどという豪華なものがあるはずもなく、石畳の上でただやつれていくのを待つのみ。
朝も夜もわからない地下で過ぎた時間は、ほんの僅かなようにも、はたまた永遠のようにも感じられた。
ふいにカツン、カツン、と耳慣れない靴音がした。
時間感覚などとうに忘れてしまったが、先ほど食事を下げたばかりの時分に獄吏が見回りに来るはずがない。
暗闇に目を凝らすと、ぼんやりとした炎の明かりが近付いてくる。
そこに現れたのは自分のような下賤の者でもよく知る、この国の若き王だった。
「余はエドガー。ブランシェット王国第二十七代君主、エドガー・ライオネル・ド・ブランシェット」
ご丁寧に鉄格子の前で名乗りを上げた王は、次の瞬間目を疑うような言葉を口にした。
「咎人。余の従者とならぬか」
…………? この男は何を言っているのだろうか。
「側に控え、宰相共の寝首を掻いてほしいのだ。さすれば死刑も取り消させよう」
「……嫌だ」
言わんとすることはわかる。だが理解できることと協力することはまた別の話だ。
子の拒否にも関わらず、王は自分の身の上を訥々と語る。
若き王は五つの頃に父親である先代の王を亡くしていた。
即位した時にはまだ十分に執務を行えず、今は宰相がこの国全てを回している。王とは名ばかりのお飾り状態だった。
宰相らは王が傀儡であるのをいいことに、自らの私利私欲のために悪政を敷いていた。前王の死があと数年早ければ、子の命は既になかっただろう。今の裏街はそれほどにまで荒れている。
元王妃である生母は王を産んだ際に命を落とし、王の周りに純粋に味方と呼べる者は一人もいない。
故に王は味方を探していた。自分に付き添い、相手を牽制してくれる者を。そしてあわよくば相手を暗殺できそうな者を。殺人鬼に人殺しを頼むとは何とも酔狂な話である。
今更殺す相手が一人増えようが二人増えようが変わるまい。どうせこの姿を見れば誰もが自分を蔑むのだから。だが無条件で見ず知らずの人に付き従えるはずもない。子は条件を出した。
「アンタが俺より強いならいいよ」
王と子は勝負をした。一対一、木刀のみを使用した真剣勝負。子はそれなりに腕に自信があったのだが、幼い頃から曲がりなりにも教えを施されている王に勝てるはずもなく。
切っ先が喉元に触れる寸前で止まった。
「よいか?」
「ああ」
こうして子は表向きには王の従者となり、傍に控えた。
王は名のなかった子に「イグナーツ」という名を与えた。「イグナーツ」とは〈燃えるように輝く〉。全てが終われば自ら燃えて死ねとはなんとも皮肉な名前だ。
王は「奴らを牽制するにはこちらにも相応の知識が必要であろう」と子に学をつけさせ、武術の稽古も施させた。
子は不思議に思った。仇討ちのために拾った奴に、どうしてコイツはここまでするのか。この姿を見て不気味に感じないのか。子は情というものに慣れていなかった。
そして王と子は巧みに動き、王の反対派である人間を次々と斃していった。
最後の一人に地獄への引導を渡した後、子は王に言った。
「これで俺はお役御免だろ?」
「いいや? これからも余の傍に置いておくつもりであるぞ」
子は理解できなかった。なぜ自分に情けをかけるのか。
「暗殺が明るみに出ればアンタの立場が危うくなるだろ? だったら俺を殺すか自害させるのが一番じゃないのか?」
「ここ数年側にいた者が急にいなくなれば周りに不審がられるであろう? それにな」
おもむろに言葉を切る王に子は聞き返す。
「……なんだよ」
「余はイグナーツ、お主を最も信用しておるのだ」
「……は?」
「余に『ありのままの自分』でぶつかってきてくれるのはお主だけ、ということだ」
「…………」
もしかしたらこの王も愛されることなく育ったのであろうか。
「イグナーツという名はな、お主の生きざまを見て付けたのだ。燃えるように燦然と輝きながら今を懸命に生きるその姿が、余には眩しかった」
余はお主のようにただ真っ直ぐ生きることは許されなかったからな、王はそう言って寂しげに笑った。
子はここで殺されるか自害を命じられるのであれば王を殺そうと考えていた。
――だが、しかし。
「……いいぜ、一生アンタに付き従ってやるよ」
こうして王の傍には常に色素の薄い髪に赤い瞳をした容姿端麗な従者がいるようになったという。
忠誠と贖罪の証として、子は顔と背に刺青を刻んだ。この想いを、そして罪を決して忘れぬように。
「私はイグナーツ。エドの――王の右腕です」
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